最近映画を楽しんで観れなくなった。何というか魔法がとけていく感じがする。SNSの弊害と言えばそうなのだが、落胆することがこうも多いと残念でならない。

 

勝手に残念がっているだけだし「嫌なら見るな」とも思うが、見ないようにしても情報は嫌でも入ってくる。キリアンマーフィーが主演の「オッペンハイマー」だって情報を知ったときはとても楽しみだったし、今年の劇場で観る作品はこれだ!とまで考えていた。しかし、あのようなネットミームが流行りそれを面白おかしくイジリまくるのを目の当りにした時の悲しみと言ったら…。それに加えプロデューサーがジェームズ・ウッズというとんでもおじいちゃんだ。なんだかなぁとつぶやかずにはいられない有様で、『核兵器』がキーになっている作品を取り扱っている自覚の足らなさが露見していた。主人公はオッペンハイマーであり核兵器の悲惨さを描いている訳ではないのは重々承知しているが、あの被爆しケロイド状になったオッペンハイマー扮するキリアンとマーゴット・ロビー扮するバービーを『バーベンハイマー』と呼び楽しんでいる輩に対してオフィシャルは一言の苦言もなく、オスカー授賞式では出演者のエミリー・ブラントがまさかの『バーベンハイマー』をイジリ、アイアンマンはデータを無視する始末。開いた口が塞がらない。グロテスクなホラーを題材にした舞台でも上演してるのかと思ったほどだ。唯一の救いは「関心領域」で受賞したジョナサン・グレイザー監督のスピーチのみ。

 

差別というものを体験したことがなかったのだが、まさかスマホの画面から体験できるとは思わなかった。この流れを差別と捉えるのはどうか?と疑問に感じる方もいるかもしれない、ただ配慮が足りないだけ、被害にあった国じゃないから理解が浅くて仕方がないんだよ、そんな考えの方もいると思うしたしなめもしないが私はこの一連は差別というものなのだと感じる。

 

オッペンハイマーは自伝的作品ではあるが、核兵器は切っても切り離せない。その核兵器の奥には、ただ懸命に普通の生活を営んでいた一般の市民が惨く殺されているという事実がある。その事実を彼らは知っているにも関わらず、今回のオフィシャルの『バーベンハイマー』というミームの扱いは、亡くなった方々や運良く生き抜いた人達の苦しみや悲しみ悔しさを丸々と無視しているにほかならない。作中には関係ない勝手にネット民がやったことというのは言い訳に過ぎない、別に核を落としたことを謝罪してほしいだとかではなく、亡くなった方達に対する行いがあまりにも侮辱的だということを自覚してほしい、ただそれだけの事だ。被爆し亡くなった方をあんなミームにして遊んでいるひとでなしに『このように亡くなった方や主演俳優をも侮辱するような画像を今すぐ削除しなさい。また、今作品は自伝的作品であり被爆の恐ろしさの面ではなく、あくまでもオッペンハイマーという男の半生にスポットを当てた作品である。』の一言が何故言えなかったのか?こんな偉そうなインテリな作品を撮ったチームなら容易にできたことであろう、なのにそれすらされなかったのを見る限りこれを差別と言わず何と言おう。「アジア人の透明化」とはこのことなんだなと改めて感じる出来事だった。

 

私の考えすぎかもしれないし、ナーバスになっているところもあるとは思う。でも、やっぱり悲しいものは悲しい。